「いい買い物」、「満足度が高い買い物」という曖昧な線引きに用はない。そんな評価の次元を超えた買い物こそ、「洗濯乾燥機」である。詳細説明は不要と思うが、洗濯から乾燥まで一台でこなす奇跡の家電がそれである。
干して仕舞わぬ者はあっても、洗って干さぬ者は居ない。
生物的に寿命は延びたかもしれないが、体感的に相対的に、人生は短い。少なくともこの界隈で生活を営むならば、食う寝る以外にやることがありすぎる。
ならば洗濯時間こそケチれ。そして可処分時間を最大化する。
布団乾燥機は洗濯乾燥を代替しない
数年前、洗濯乾燥機を使っている知人宅で借りたタオルは、溜息が出るほど手触りが良かった。
乾燥直後はなおさらである。ひとくちに「乾いた」とくくっては申し訳なくなるほど、仕上がりが違う。自宅のそれとは一線をかくしていた。テクノロジーの洗濯乾燥力を見くびっていた。
我が家の洗濯物といえばそのころ、時に屋外で、またある時に室内で、長時間生乾きだったり放置されたり、雨晒しを経て乾燥したり(結果的に)と、さんざんな思いをしていたことを私は知っている。当然、人として最低限はやっていたので、気まずさや後ろめたさはない。それにしても、数多とある家事の中で個人的に優先順位が低いのが「洗濯して、干して、取り込んで、しまい直す」であった。
残念ながら優先順位と重要性は比例しない。洗わなければ、乾かなければ、着る服がないのだ。タオルがないのだ。そんな一大事には、布団乾燥機でなんとか間に合わせるといった有様だった。さらにその状態を「最先端」とさえ感じていた。布団乾燥機ってなんて画期的なんだろう…ありがとう、布団乾燥機!と思っていた。適材適所を知らぬ女である。
話を戻そう。知人宅のフワフワタオルに感動したのは、我が子も同様であった。「おかあさん、タオルふわふわ〜…!」あえて言葉にするのは、新しい発見をしたからである。フワフワタオルしか知らない人は、フワフワを認知しない。
なんという切なさ。ガサガサタオルがスタンダードとなっている我が子に、フワフワタオルを毎日使わせてあげたい。迎えるは梅雨。洗濯物の乾燥など布団乾燥機には荷が重いことは自明だ。いざ。
壊れるまで使うでしょ、という具合で生きてきたが、ついに買い換えることにした。なんという贅沢。今から1年半ほど前のことである。うちに洗濯乾燥機がきた。
イージーモードの家事クエスト
私にとって洗濯乾燥機はあまりにも革命的だった。ひとたびスイッチを押しさえすれば、次に会うタオルはみなフワフワだ。我が家の家事クエストにおいて、洗濯乾燥機ほどのゲームチェンジャーは未だかつて存在しない。
子供の隣で寝落ちした後に、深夜に這い出て洗濯物を干す。かつては、これが私のルーティンだった。洗い上がりの洗濯物を、手に取った順に乾きやすさとか取り込みやすさとかを無意識に意識して、干し竿やハンガーになんとなくいい感じにぶら下げていく一連のこの動作。私の1日の中で最上級の虚無であった。決して何分もかかるものではない、でもその時間が惜しい。
洗濯乾燥機はそんな虚無動作をゼロにした。もっとも、アラや不満が無いかといえば、別にそうではない。布生地はたぶん傷みやすいし、洗濯から乾燥まで5時間かかる。しかし、そんなことは取るに足らない。
こだわりの無さにはとことんこだわり貫いていきたいものだ。こだわりが無ければ無いほどその価値を感じられるのだ。多少のことは目をつむれ。他者との共同生活には不可欠の教訓だ。ただただ、ありがたがっていよう。
突然のXデーをどうやり過ごすか
購入から1年以上たっても、まだまだ日々感動を与えてくれていた洗濯乾燥機だったが、今年の8月にエラーが出て、うんともすんとも言わなくなった。ネットを調べ尽くしたが自分では手の施しようがないことがわかった。1年間の無償保証期間がちょうど過ぎたので出費はやむなし、とにかく一日でも一秒でも早い復旧を願った。
修理センターに電話をすると、訪問可能日が最短で2週間後だという。エアコン修理で大繁忙とのことだった。我が家の最強戦士がそんな有様で途方に暮れた。
しかし洗えるものは手洗いなどして外に干したり、自転車5分の距離にあるコインランドリーに通ったりもした。夏の夜、近くのコンビニで買ったアイスを子供と一緒に食べながら、涼しいコインランドリーで洗濯が終わるのを待つ。それはそれとして振り返ればおもしろい非日常体験で、思い出にすらなった。
肝心の最強戦士といえば、基板の一部に不良がある機種だったようで無償修理が施された。サービスマンにロット不良なのかと聞くと、個体差でエラーが出ないケースもあるという。致命的な事故にはならないことも相まって、メーカー側の回収対象になっていないということであった。
合わせて、乾燥後に洗濯乾燥機の周り一帯に埃が異常に溜まることを相談すると、扉の歪みによる風漏れだ教えてくれた。「2週間もお待たせしたので…」と表向きはそういう理由で、扉も無償で交換された。復活した洗濯乾燥機は、今日も我が家のランドリーを一手に担う。
虚無とか言った奴だれ
洗濯乾燥機を持たない頃に自分がどのように生活をしていたのか思い出せないくらい、有り余る快適性を味わってしまい、後戻りは恐ろしい考えたくもない。だけれど意外にも、強制的・一時的にでもその便利さから距離をとると、また違う世界を知れることは嬉しい。
快適とか効率的とかそういう評価の裏で、無駄と思える時間が生んだかも知れないかけがえのない経験がある。
どちらに転じてもポジティブな思い込みで自分の脳を騙す。それに気づける余白は持っておきたいと思うのだ。必要な時が来たならば、いつでも手放してやるよ、の精神が人を自立に導くはずだから。
なお、我が家のベランダから道を挟んだ向こう側の土地一帯は、この1年と向こう数年にわたり企業のビル建設のために、週6日絶えず工事の作業員や車両が行き交い砂埃が舞う。
おちおち洗濯物をベランダに干しっぱなしにはできないから、まだまだ奇跡の家電に頼っていく。願わくはずっと頼っていく。