ダクトテープで壁に固定されたバナナ

価値があると信じているから価値があるのだ、という話をしてみたい。

貼りつけバナナが9億円で落札された

11月20日、イタリア出身のコンセプチュアル・アーティスト、Maurizio Cattelan(マウリツィオ・カテラン)氏の作品、「コメディアン」が、アメリカのオークション大手サザビーズで620万ドル(日本円でおよそ9億6000万円)で落札された。

サザビーズのサイトで見たけど、きれいなバナナよ。本当に。スーパーで一房500円くらいはするかもしれない。

引用元:サザビーズ https://www.sothebys.com/en/buy/auction/2024/contemporary-evening-auction-2/comedian?locale=en

渦中のバナナに話を聞いた

これに一番驚いているのは他でもない、バナナ自身であることは疑う余地がない。バナナサイドこそ、こういう形で脚光を浴びるとは思っていなかっただろうなあって。テーブルとか、ありえたとしても皿とか段ボールとか、カゴとかか?バナナが接する”面”はそういうものを想定していたと思うし、圧倒的になじみがあるのは、吊り下げられる状態だろうとも思う。バナナの房はぶら下がっている感じで育つし。なのにダクトテープで無地の壁にソロで固定されてかつ、作品として購入される。620万ドルである。

筆者の独自ルートで入手したバナナ(ここではA氏とし、名は伏せる)に話を聞くことに成功した。実に30時間にわたるロングインタビューだったので、その一部のみ掲載でご容赦願いたい。

【11月22日(金)都内某所にて】

筆者:率直に、今回の落札額ですとか、そもそもこの作品自体でもいいんですけど、それに関してどういった感想をお持ちになられましたか。

A氏:(言葉が出ない)・・・・何から話せば良いのか、という感じではありますがとにかく作品を見た時は衝撃でした。生まれてはじめてですね、そんなバナナって。思いましたよ。

筆者:バナナ界での反響はどんなものでしょうか?

A氏:まあ、いろいろですね。やっと価値が認められたという者もいれば、生まれた時期だったり場所だったり物流だったりでこんなにも異なる結末があるのかと嘆く者もいれば、現実的にあの場所で腐らずにバナナとして保管される日数を気にする者もいました。

自分としては、ありのまま壁にソロで固定されるのはちょっと…できれば子供なんかにわんぱくに頬張ってほしいなと思ってしまうタイプなので。

筆者:なるほど。ちなみに、毎回インタビュー受けていただく方は生い立ちからお伺いしていくっていうことをやっているんですが、生まれはどちらでしょうか?

A氏:私ですか?落札されたバナナとしてではないお答えになりますが…まあバナナ一般としての回答として聞いていただければいいですね。

私はフィリピンのミンダナオ島で生まれました。日本の商社が出資したプランテーションでね。バナナが生ってるところみたことありますかね。6-8房が集まって大きくなるんですよ私たち。本数で150本前後ってところですかね。品種によって違いますが。フィリピンバナナの輸入先は圧倒的に日本が多いんですよ。

筆者:そうですよね、スーパーのバナナはフィリピンしか見ないかもしれないです。今回の作品のバナナについてはどこ産なのか、見てわかるものでしょうか?

A氏:それはわからないですね。展示場所に応じて、その土地で入手できるバナナを、ということだと思います。

筆者:なるほど。展示の際は、指示書に沿ってバナナを壁に固定するようですね。

A氏:そうです。バナナのサイズ、熟れ具合、地面からどれくらいの位置に何度傾けて、テープの長さは何センチ、傾き何度、といった詳細なマニュアルに沿って展示されます。マニュアルや作品証明書は、この作品の一部のようですね。

筆者:今回落札したのは、中国出身のコレクターで仮想通貨プラットフォームTRONの創設者であるJustin Sunとニュースで拝見しました。仮想通貨関連は注目しているといったことはありますか?

A氏:仮想通貨ですか。まさかまさか。やっと新NISAの口座を開設したところです。仮想通貨まで手が出ないですよ。ですが、仮想通貨という世の中の一部でようやく浸透してきているものと、昔からなじみのフルーツであるバナナとの接点がアートだったと考えると、やはりこの作品の価値はそこにあるのかなと思ったりもします。

筆者:事前の予想落札価格は100万~150万ドルと言われているみたいですが、4〜6倍の価格で実際に落札されたというのは驚きですね。

A氏:単にバナナとダクトテープ、そう捉えてはもちろんその値付けにはなるはずがないでしょうね。まさにコンセプトに価値があって、今回の落札者が見積もるとこの価格だったということなのかなと。もちろんその見積もりの中には、大衆の反応や作品の話題性、今後価値が上がることを想定しての投資的な意味もありそうです…

筆者:実際、作品の展示中にはバナナが食べられたこともあったようですから、物質的にはバナナはバナナということですね。この作品のコンセプトについては、私も引き続き考えてみたいと思います。最後に、このインタビューを読む方へむけて、メッセージや宣伝があればぜひ!

A氏:はい。バナナは一本ずつ房から外して、それぞれをラップまたはナイロン袋でくるんで冷蔵庫で保管すると、皮の色は変色しても中はフレッシュなまま、比較的長く保存が効くので是非試してみてほしです。

筆者:本日は、お忙しい中ありがとうございました。

A氏の出荷の時間が迫っていたためタクシーを捕まえ、筆者とはそこで別れることになった。

「コメディアンとかけまして、バナナと解く」その心は

この作品タイトルが”コメディアン”とは、どういうことか。答えはないが考えてみる。バナナとコメディアンの共通項はなんだ、接点は何だ。

コメディアンとかけまして、バナナと解く。その心は-「どちらも滑って笑いを、そして時に失笑を生むでしょう」ってか。大量生産、大量消費、ナマモノだから腐っていく、ただしバナナだ。手軽に代替可能。諸行無常。

そんなパフォーマンスに620万ドルの価格がつく。この壮大な矛盾を突きつけることが”コメディアン”の役割か。ちなみに、落札したJustin SunのX(旧Twitter)の名前横に、しっかりバナナの絵文字がついていて、しゃらくさい。ファンシーにふるな。

マウリツィオ・カテランについて

触れずには終われないので書いておく。カテランは1960年に、イタリア北東部のパドヴァという町で生まれた。

彼はパドヴァで育ち、父親はトラック運転手だった。清掃婦だった母親は癌を患い、カテランは 17 歳で学校を辞めて家族を支えた。あの自殺したリス? それは彼の実家とまったく同じキッチン テーブルに座っていた。「作品の表面だけ見ると、遊び心に満ちている。でも時に、極めて悲しくもなり得る」とカテランは言う。

(原文)He grew up in Padua, where his father was a truck driver. His mother, a cleaning woman, suffered from cancer; Cattelan left school at 17 to help support his family. That suicide squirrel? It was sitting at a kitchen table just like the one in his parents’ house. “If you see just the surface of the work, it can be playful,” says Cattelan. “But sometimes it can be extremely sad.”

引用元:https://nymag.com/arts/art/features/maurizio-cattelan-2011-10/

引用元:https://fsrr.org/mostre-category/think-twice-_-catttelan/

彼による彼だけの経験・生死観から生まれる作品は、その価値をわたしたちに問う。

価値基準を自分の中に持つということ

貨幣で測れる価値は相対的なものだ。貨幣はものの価値を測る一定のものさしとして機能して久しいが、私たちは生活をそのものさしに合わせることを「あたりまえ」として受け入れて、少しずつ苦しくなった。

本来、その価値を信じている人が価値を決めるのだ。

思い出や経験、愛情などはプライスレスと言ったりするけれど、同じように「ダクトテープで壁に固定されたバナナ」のようなプライスレスなものにあえて値段をつけるなら、620万ドル、ということか。

さて、とんでもなく意味のない文章ができたし、非生産的時間を堪能もした。毎度、お前誰だよっていう。