改革とか言いかちで感傷的になりがち

日記などは続きません。ただ散り散りに書いた何かを時々読んでみると面白い。自分の歴史が黒光りしています(黒歴史)。

そして、何も考えずにただ真面目で馬鹿な自分が健気だなと、他人事のように思います。

あと、自分の考えとか直感みたいなものは基本的に、自分の行動を決める際に限っては正しいはずです。のちに間違ってたな〜って思ったとしても、その手前では、なにも疑わず無謀で非合理的とも取られそうな一歩を踏み出すみたいなことだけが重要なんだよねと思います。

自分に適用するルールは自分で決める、これに尽きるな、というのが実感です。

気に病むのが基本的な私の性質ですが、2020年もとにかく気に病んでいたなと思います。

たとえば2020年6月に書いたものはこれでした。

2020年6月コロナ期回顧録 息子2歳

休園期間中の約1.5ヶ月は、妹宅や実家にお世話になっていた。大概いつも、自分でやろう、やらなくてはいけないと思い込んで、ギリギリのタイミングでヘルプ出す、または出さずに自滅っていう奴が私だ。なのに今回、育児家事と在宅仕事を終わり見えない一定期間、同時並行することは私には不可能すぎて今回は早々に諦めがついた。

遠方の実家のため公的移動手段を使う事を懸念して、父が車を8時間ほど運転し迎えにきてくれた。今回の自分決断の早さに我ながら驚いたが、結果、大袈裟ではなくて危機回避できたと感じる。頼らせてもらってよかった。

家族を頼った理由は子供があまりに不憫、どころか本当に虐待するんじゃないのこの親(自分)?って危機感があったからだ。

2歳を過ぎた子供と2人きりの在宅で、しかも外出自粛の状況。仕事は常にヒヤヒヤ・焦りと恐怖で余裕がない。私のキャパの小ささがどれくらいって言ったら、新生児の爪くらい小さい。てんてこ舞いの日常に、更なる敵(コロナ)襲来でもうほんとに誰か助けてと思った。

例えば日中、ギャン泣き子供を部屋に置いて、自分はベランダで仕事の電話をする。

一日中動画コンテンツを見せて名も無き料理(これはいつもだが)を適当に食べさせ、こちらの意識は仕事に向きながら相手をするので子の機嫌はなおさら悪く、あの手この手で私の関心を引こうとする。

正直仕事なんて3割も進まない。かと言って子供につきあえるわけでもなく、すべてが中途半端の極みだった。

この中途半端さを許せない性格。

コロナ自粛でDVや虐待のニュースあり、人様ごとではなかった。「気持ちはわからんでもないが、暴力はダメだよね」ってあたり前は通り過ぎ、もう意識せずに気づいたらそうなってたんだな、と納得してしまった。

というわけでそうなる前に実家にヘルプを出したわけである。

登場人物全員善人物語

とはいえコロナ渦。実家に帰って2週間(潜伏期間と言われている)は可能な限りの隔離生活したことは言うまでもない。

実家では、子供にしてあげたいと思っていた、外遊びや充実した献立の食事用意も母が担ってくれ、私が仕事に集中できる環境にしてくれた。

また、時を同じくして妹が里帰り出産のために姪と帰省していた事で、子供にとって多くの良い刺激があった。食べられる野菜が増え、トイレトレーニングも進んだ。多くの人の助けがあればこんなにも成長が早いと実感もした。

ちなみに実家を頼る前は妹宅を頼っていたが、その際も妹旦那が「お姉ちゃん(私)がヘルプするなんてよほど大変なのだろう、一日でも早く迎えに行ってあげたい」との事で、当初相談していたよりも早く迎えにきてくれたものだ。これは実家で母づてに聞いた話。

登場人物全員善人。

申し訳なく思ったし、申し訳なく思うことも申し訳なく、私はひたすら申し訳ないおばさんになった。(本領発揮)

自粛明け

そして保育園登園自粛明けの昨日、久々に子供が保育園へ。朝は先生に抱かれて不安そうにしていたが、迎えの時にはもうにっこにこで「おか〜しゃ〜ん!!!」って駆け寄ってきて安心した。子供の適応力には本当に頭が下がった。

日常の変化に、子供は都度適応していてその姿に助けられているわたしだ。

本当に登場人物全員善人(平均人生経験回数が30回目くらい)。ありがたい。自宅に戻り、以前とは少し異なる日常がまた始まった。

私の勤務先はコロナ以前より、働き方改革の名の下にリモートでの業務環境が整いつつあった。というか整っていた。ことコロナで外出制限となってからは在宅が9割以上を占め、本当に一日中家にいることとなった(今も)。環境はあるけどその活用を圧倒的に促進した外的要因がコロナだった。

実家に居た期間ほど、息子の生活を間近でみることは今までに無かった。夜に母や妹から聞く一日の息子の様子といえば、私がいない時の食事は黙々と進んで食べ、周囲に励まされながらトイレにもいくといったもの。そのどこを切り取っても、息子と私のマンツーマンでは実現し得なかった姿だ。

2歳はすごく頑張っていた。見れば見るほど、聞けば聞くほどかわいく、健気で頼もしい。さて私はといえば働き方改革の恩恵を享受しているはずが、家庭と育児の両立が可能な環境のはずが、息子のその日毎の成長は人伝に、育児参加はままならず「両立」などとは程遠く、以前に増して仕事が家庭を侵蝕していく感覚が強い。

一番申し訳ないのは、私は何事も楽しめていないということだ。なんて我儘で贅沢な悩みなことか。だけど事実だ。離婚して一馬力なのであれば仕事が楽しくないなどと、世間一般的には言っては居られぬはずだ。

だが。

そういえば長期では育休を取らなかった。その時に最善と思われる優先順位で生活してきた。

実家から自宅へ帰ってからも、日常的に息子は「オカーサン、オシゴトオワッタノ?」と私に問うようになった。この言葉に、「おわったのであれば一緒にいられる?」という意図があると妄想するのは、あまりに感傷的すぎるにしてもだよ。

息子の首や腰が座った頃、ハイハイができるようになった頃、言葉を発せられるようになった頃、一歳の誕生日、乳離れをした頃、私はちゃんと生きていたか。

理想の仕組みはおそらく、働き方改革だとか制度の整った会社に相変わらず依存する事では手に入れられないと気づき初めている。改革が必要なのは、「生き方」みたいなことだ、とも。

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回顧おわり。

全ての経験が今を作っている、雑記がそれを思い出させてくれる。

黒光りする過去すら愛おしい、つってーーー!!!